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♥ お遍路さんのページです

現在、遍路の方法はバスツアーや車、バイク、自転車など、乗り物で回る人が大多数であるが、全行程1500kmほどを歩いて回る人も少なくはない。

立江寺の近くにある接待所に立ち寄った時、ご主人が、「遍路は昔は辺路と書いたように、参拝する寺の辺りの道の事であり、本来は歩く事に意味がある。バスや車でスポット的に寺にお参りするのは、単なる参拝であって遍路とは違う」と話す。
また、「歩いて遍路をする人(歩き遍路)たちは、バスや車で遍路をする人たちが、自分を簡単に追い抜いて行くのを見て、それをうらやましいとは思わず、自分の足で歩ける健康と、ゆったりした時間を持てる事に感謝するのだ」と話す。 さらに、「バスや車で回る人たちは、歩き遍路を追い抜く時にその汗を見て、車で楽に回れる自分の境遇に感謝せずに、逆に後ろめたさを感じるのだ」とも話す。

歩いて回る事での困難の克服や、様々な出会い(被接待を含めて)自体が修行として成り立って来た面がある遍路において、この接待所のご主人の意見は、かなり重要な意味を持つのだろう。 一方、88霊場の遍路のシステムを維持して行くためには、多くの人々に参加してもらう事が物・心両面において不可欠であるとすると、バス遍路や車遍路も、大きな意味を持つ。(江戸末期や戦後の世情の混乱期には、お遍路さんが少なく、崩壊しかけた時期があったようだ)
遍路は、長い間にお遍路さん自体が作り上げてきた信仰である。私見ではあるが、世の中の変化によってその姿も変わって行くのだろう。(昔は車などは無かったのである)

3月半ば、陽気が良くなると、お遍路さんを目にする事が急に多くなった。そういえば、遍路は春の季語だそうである。 胸の内に重たいものを秘めて回る人、物見遊山を兼ねて回る人、様々な思いを抱いて88寺を回り通したお遍路さんには一度で終わらずに、何回も、何十回も繰り返して回る人も多く、遍路には不思議な魅力があるようだ。